補選について

2016.11.06

上野 詩織

上野 詩織

10月23日東京10区の補欠選挙が行われた。
今回の選挙では、自民党から若狭勝氏、民進党から鈴木庸介氏、そして幸福実現党からは吉井利光氏の三人が立候補していた。

残念ながら私の住んでいる地域は10区に含まれていなかったため、選挙権は与えられていなかったが18歳女子が補欠選挙から考えたことを「正直に」振り返りたいと思う。

そもそもこの補欠選挙は、7月の都知事選において10区から選出された衆議院議員であった小池百合子氏が当選したことに伴うものであった。
「補選」と聞くと、いまいちピンとこないなーというのが最初の私の正直な感想であったが、簡単に言うと、この選挙は改めて私たちの声を代表できる「信用に値する人物」を国会に送り込むことができるチャンスであったと考えることができる。

もちろん与えられた1票を誰に投じるかは各人の自由だが、この自由には同時に大きな責任が伴っている。国の方向性を私たち有権者が決定できるということは、選挙においてえらばれる側のひとがいかに国の未来を見据えどのように創造していくのかが問われているだけではなく、有権者側にも同等か、または候補者を見極める能力としてそれ以上のものが期待されていると言い換えられるのでないだろうか。

偉そうなことを書き連ねたが、選挙権をいただいたばかりの私にはまだこんな立派な能力など備わってはいない。しかしながら、候補者が訴えかける熱い思いに関しては、人一倍強く受け止めることができるのが私たち若者の特権だと思う。
街宣車の上で声を張り上げ有権者に訴えかける候補者のその姿勢に感動したのならば、次に行動に移していくこと、それを実現していこうと努力していくことこそ私たちにできることではないだろうか。

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